2016年08月03日

長征で何キロ歩いたのか

 中国解放軍の設立記念日である8月1日を前に恒例の上将昇進式が行われると、それまで毎日のように公表されていた常務委員たちの動向がプッツリと途絶えました。

 習近平はこの昇進式典、リカちゃんは30日の「国家防汛抗旱總指揮部」への視察が最後となっています。今後しばらくは、過去の会議における発言の回顧や、ビデオレターによる会議への登場といった記事で穴埋めされます。

 毎年のことです。昨年も「今年からは開催されない」と指摘を受けていた北戴河会議が始まったサインです。あと数日もすれば、ご褒美として慰安旅行に来ている労働模範たちを、李建国、あるいは劉雲山あたりが出迎えた、という記事が出ると思います。

 この時期は政治的に大きな動きは出来ず、ネタが若干枯渇気味になるのですが、そういう時期はそれらしく遊びたいと思います。

「二万五千里」はどうやって算出された数字なのか(新華社 2016/8/2)

 「二万五千里」(約1万2500km)というフレーズは、長征で紅軍が歩んだ距離というのは教育で刷り込まれているので、大抵の中国人は知っていると思います。なぜ長征していたのかという疑問は、ここでは重要ではありません。

 では、二万五千里はどこから出てきた数字なのか。新華社は「地図上で測ったわけでも、根拠も無く捏造した数字でも無く、事実に基づいた十分な根拠がある」と胸を張ります。これは期待しないほうがよさそうです。

 二万五千里の記述は、毛沢東の「紅一軍団の報告では、最も多く歩いた部隊は二万五千里だ」発言を記した、長征に従軍していた軍人の日記と、党中央が出した「日本帝国主義が華北を併呑し、蒋介石が華北、中国を売り渡したことに対する中国共産党中央委員会の宣言」(中國共產黨中央委員會為日本帝國主義併吞華北及蔣介石出賣華北出賣中國宣言)が出された1935年末から見られるようになります。

 戦争中で完全な資料はないが、従軍した彼らの日記や行程表などから、紅一軍団の行軍距離は一万八千里は硬いとのこと。

 ここにどうやってどれだけ上乗せするかですが、行軍中(という体裁の逃亡中)なので、迂回や(逃亡初期は地図がなかったので)同じルートを通ったり、道を間違えたといった理由が提示されています。え、そういうのを足していいの?

 毛沢東のいう「最も歩いた部隊」とは、紅一軍団のような本隊ではなく、その露払いをする偵察部隊のことだろうと推測されます。しかし「事実に基づいた十分な根拠」は一向に出てきませんでした。

 以前、紅軍の行軍ルートを辿ったもの好きによれば、だいたい二万五千里らしいとのことで科学的でしょうと結論づけているのですが、この記事を書いた人は過去の調査結果には当たらなかったようです。

 当時延安に入っていたエドガー・スノーの著書『中国の赤い星』では、「詳細な路線図」を元に1万8000里あまりと算出。2003年には英国人研究者が1年以上歩き、6000キロ(約1万2000里)くらいだろうと計算しています。

 ようするに、結局毛沢東のホラしか根拠がないんです。神話は変に整合性を求めたり、こじつけたりすると夢もへったくれもなくなってしまうよといういい教材ですね。

==参考消息==
http://cpc.people.com.cn/GB/64184/64186/66640/4489894.html
http://doc.qkzz.net/article/3c0b1823-0c63-453f-8da1-87b69fab74d6.htm
posted by aquarelliste at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 消息 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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