2017年05月13日

江沢民は今日も生きる

 葬式、墓、頭髪の3大コンテンツを軸にお送りしている当ブログなので、死亡説がまたぞろ流れ始めた江沢民さんの最新情報を。

 ウランフの長男で、現・内モンゴル自治区主席(省の省長に相当)の布小林の父である布赫が亡くなりました。親子三代にわたって内モンゴル自治区主席を務める、紅二代と自称する二世、三世に相当する存在がいる中国でも珍しい地方諸侯一家です。

 省規模の地方自治体を中国に編入させた功績はあるとは言え、他の地域で親子三代にわたって居座るケースは見当たらないので、色々特殊なんでしょう。

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※いつもの花輪

布赫の葬式は、習近平ら常務委員と胡錦濤らが参列と伝えられ、欠席した江沢民がお花という最近お定まり担っている様式となりました。

 葬式記事では「某同志が重病期間中と逝去後、習近平(中略)ら同志は病院に赴いてお見舞いをする、もしくは各種の形式で某同志の逝去に対し沈痛にに哀悼を表し、遺族を深くいたわった」と書き添えられます。

 江沢民は病院には行けないので、葬式と同様に花輪を送ったり、代理人を立てて病院や自宅に行かせたりしているのでしょう。ともかく、江沢民は少なくとも10日までは生きていたことが証明された格好です。

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※江沢民と結構古い付き合いだとか

 また、葬式前日の10日には、上海市実験学校の創立30周年を祝して開催されたイベントで、同校の校長が「江沢民おじいさまから祝電をいただきました」と嬉しそうに発表。おじいさまは同校に揮毫されてるんですね。

 校長によると、江沢民は91歳と高齢であり行けないとのこと。祝電とあるから電報か何かと思い込んでいたのですが、電話をかけてきたとあります。書面より確実に死んでないことを証明できたわけです。

 死んでないのが確認されたのは良かったのですが、老いをこれだけ強調されたのは江沢民史上初めてかもしれません。おじいちゃんはともかく、年齢を出されて高齢なので今日は寄れませんと紹介されているんですからね。

 危篤説、あるいは死亡説が流れてから4日目の6日には、上海市委書記時代の部下の葬式に花を送っています。この時点で、危機は脱していたことになります。立て続けに生存をアピールし、これはもう蘇ったと見ていいでしょう。

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※そこまで薄情な息子でもないかと

 間接的な生存報告としては、江沢民の息子で上海科技大学の校長を務める江綿恒が、5日に米国を視察しているところでしょうか。父親が卒中で死にかけていれば流石に上海に留まるでしょう。後述する2012年の江沢民死亡の誤報が出た時も、江綿恒は国内で視察を行い父親の死亡説を払拭しています。

 さて、春を迎え江沢民が活動期に入ったわけですが、今年の開幕はいつもと異なりました。

 4月末ごろから出回っていたそうですが、江沢民が元気はつらつに二胡をセッションする動画がネットで見られるようになりました。

 その後、この動画は直近に撮影されたものではなく、2015年のものだったと訂正が入り、動画が出回るより以前の4月17日に脳卒中を発症し病院に担ぎ込まれたものの、下半身不随となったと報じられます。江沢民危篤説を打ち消すための動画だったと見られます。

 脳卒中を発症した江沢民が担ぎ込まれたとされているのが、上海にある華東医院。北京の解放軍三〇一医院が中国指導部御用達なら、華東医院は上海と周辺自治体の指導部と上海周辺で隠遁生活を送る大物党員の御用達病院。

 引退後も健康診断は同医院が行い、担ぎ込まれるのもここなら、見込みのない大物党員がそのまま入院するのも同医院。毎年旧正月直前になると新年の挨拶を申し上げるべく、上海指導部が押し寄せるのも同医院なんだそうです。

 江沢民危篤説、あるいは死亡説が流れた5月上旬、同医院とその周辺は厳戒態勢だと伝えられていましたが、結局江沢民は死にませんでした。電話が本当なら、少なくとも電話で話せる程度には回復しています。

 2012年に産経新聞や中国の一部メディアが危篤情報から死亡記事を出し、誤報として処分を受けたのは記憶に新しいところです。

 今回産経の釈明を改めて読み返すと、北京にある解放軍三〇一医院に江沢民が入院し、「死亡した江沢民」の遺体は同医院にあるものと推測していたことが確認されました。そもそも確認すべき場所が違っていたのでは。

 江沢民は党大会などのイベントでごくたまに北京に出向く以外は、自宅のある江蘇省揚州市にいるでしょう。2015年に喬石、万里と超大物が立て続けに亡くなった時は「遠方から花を送って」いました。北京滞在中を除けば、重病となればわざわざ北京まで担ぎ込まれるとは考えにくいのです。医師が大挙して華東医院に入っていったともあります。そちらの方がいいでしょう。

 「江沢民は二度死ぬ」、「江沢民は滅びぬ、何度でも蘇るさ。それが人々のゆm(ry」などのフレーズを今回のタイトルにしようとも思いましたが、色々と敵に回すと面倒臭いので自重。

 最後に、同じ上海組で江沢民在任時に外交部長、外交担当の副総理を歴任した銭其琛死去について。

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※中身は北京で死亡

 銭其琛は10日に訃報記事が出ましたが、色々ググった結果、当初は上海華山医院で死去と報じられていました。その後、死亡したのは北京と死んだ地点が差し代わる怪事件が起きています。

 銭外交部長時代、外交部に新設された記者会見。当時報道局長を務めていた李肇星(元外交部長)が当時を振り返る記事でも、一週間前に北京の病院に入院する銭を見舞ったという件があります。

 数年前から寝たきりだったようですが、上海華山医院で死去とは一体なんだったのでしょうか。

==参考消息== 
http://tv.cctv.com/2017/05/11/VIDEmmjN1nviLZ42NnfzoQPt170511.shtml
http://mp.weixin.qq.com/s/RP1vajpBIdluWefg0FHszw
http://www.shanghaitech.edu.cn/news/20170505/871.html
http://china.dwnews.com/news/2017-05-11/59814601.html
https://news.mingpao.com/pns/dailynews/web_tc/article/20170511/s00013/1494440372799
http://archive.gohoo.org/false_reports/011/
http://www.bjnews.com.cn/news/2017/05/11/442929_2.html
タグ:葬式 江沢民
posted by aquarelliste at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 消息 | 更新情報をチェックする
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